飯塚山笠の歴史
その起源は約290年前、そして激動の近代
■明治25年より数年前に撮られたという舁き山
享保17年(1732)の飢饉では、西日本一帯で多くの死者を出した。人々は神に祈って災難から逃れるため、京都祇園(1868年に八坂神社と改称)から疫神、牛頭天王(ごずてんおう)=スサノウノミコトを移して祇園社を勧請。京都祇園から祇園社社が全国に勧請される際に、祇園の山鉾が、山車(だし)や地車(だんじり)、台額、山、鉾(山鉾)と姿を変えて各地に伝わった。
寛政時代(1789~1801)に画かれた古絵図(筑前国続風土記附録・飯塚村御茶屋図)を見ると曩祖八幡宮境内に祇園社が描かれている。福岡市博物館学芸員の福間裕爾氏が調査した山笠の分布によると、福岡藩域である飯塚は「筑前六宿」のうちの一つであり、北九州市木屋瀬に「博多の祇園は、飯塚から木屋瀬に来て黒崎で終わる」との言い伝えが残っている。これは、博多から篠栗街道を経て飯塚宿に入り、長崎街道を北上して黒崎宿に至る、という道程で山笠が伝播していったことを物語っているという。
江戸時代後期に各地に広がった大津絵節の「飯塚神の名寄せ」の一節に、「御神幸は夜の中、お山は朝の中、お獅子が昼の中...」というくだりがある。この歌は江戸時代末期にあったとされる。古くから曩祖八幡宮の御神幸は7月15日未明に行われてきた。追い山は昭和37年までは朝5時から行われていた。午後からは夏祈祷の獅子舞もあった。このことから様式は今と違っていたとしても山笠は江戸時代から行われていたようである。
大正13年刊の嘉穂郡誌には、次のように描かれている。「祇園の山笠=6月15日は飯塚の祇園祭で、古来大きな山笠3本を飾り立て、14日の夕方および翌朝と2回、追い山として町内の青壮年者はその山を擔いで、最も威勢よく全町内を回るを例とす。この時、近郷の青年もこれに加わって擔ぐ者あり。近年、電線が架設されて以来は、ひとえに飾り山とて各町内競って、一定の場所に最も美麗な小形の山笠を立て、その山臺のみ擔ぎ廻ることとなった。この祭禮には非常に人出があり、町内は最も賑やかなり。」このように、大正13年頃には山笠三基を飾り立て、14日の夕方と翌朝の2回、追い山が行われていた。明治・大正・昭和初期まで続いた飯塚の山笠は、祇園会とよばれた夏祭り(7月13~15日)の名物だった。
戦時中は一時中断され、戦後復活する。昭和20年代後半から同40年代にかけて、飯塚の商人たちは山笠の期間中に限らず、夏には水法被を着用して仕事をしていた。木綿製で涼しくもあり、また粋でもあった。
昭和33年(1958)には11万7千人を数えた飯塚市も、相次ぐ炭坑閉鎖に伴い、若手の県外就職により舁き手は減少、昭和38年(1963)山笠は中止される。炭坑閉山のあおりで景気は衰退し、家業の転・廃業が相次ぎ、山笠が途絶えてしばらくして、舁き手の中心である青年団も無くなった。
そのような時代背景の中で、昭和40年頃、飯塚早朝野球連盟の当時リーダー格数人が、飯塚青年会議所に、一緒に山笠を復活しないかと申し入れる。その時は実現に至らなかったが、山笠復活の火種は再び燃えはじめる。昭和45年(1970)飯塚青年会議所は「炭坑と縁を切った飯塚を力強く象徴するための山笠復活」を決意。各町内の長老からの聞き取りや懇親会を踏まえ、町内会や商業団をはじめ、約15団体の発起人会を設立。圧倒的な復活を願う市民からの寄付と協力で様々な問題を解決し、昭和46年(1971)「市民祭飯塚山笠」として山笠はついに復活する。
復活2年目の翌47年(1972)7月、337ミリを記録した集中豪雨は、市内に甚大な被害をもたらす。豪雨の中で迎えた11日の流れ舁きは、若いエネルギーを市民の役に立たせるべきと中止を決定、山笠本部を災害対策本部に切り替え、用意していた炊き出しのおにぎり千個を配って回り、対策本部に舁き手を常時待機させて万が一の出動に備えた。このことは後に飯塚山笠の評価を高める。
その後も舁き手不足によるピンチを迎えるが、高校生や企業の参加が増え、山笠が地域の交流や世代間の橋としての役割を担うように。昭和50年頃には外国人の参加もあり、この頃から飯塚山笠は由緒ある山笠の縦軸に、参加者の居住地や国籍を問わない嘉飯山の祭という横軸も持つようになる。飯塚山笠は、関わった人たちにそれぞれのドラマを生みながら、今日の飯塚を語る際に欠かせない市民祭へと成長している。
過去のタイム
山笠うんちく(山笠用語集)
- ①台上がり
- 山台に上がり、赤い鉄砲で舁き手を指揮する。
山が止まった時、動くときには必ず打ち込む。 - ②若頭(副若頭)
- 山台のスタート・ストップ、舁き手の統率を行う。
- ③棒さばき
- 山台の四隅の綱をあずかり、コントロールする。
- ④鼻棒
- 棒の先頭を担ぎ、山台前方を持ち上げる。
- ⑤中棒
- 左右でせり上げ、山台前方を持ち上げる。
- ⑥羽板
- 山台の4つの板を押す。
- ⑦台下
- 山台後方に潜り込み山台を直接押す。
- ⑧後押し
- 山を後ろから押す。先頭は棒を押し、その後は前の後押しを押して続く。
- ⑨交代
- 前より順に交代する。場所により背中をたたくなどして入れ替わる。
- ①水法被
- 町内毎にデザインが異なる。つかみ起こせるよう前襟を結ぶ。
- ②腹巻
- 腹・腰の保護や伊達で巻く。
- ③脚絆
- 地下足袋の固定やすねを防御する。
- ④地下足袋
- ゴム底の足袋。昔はわらじを編んで売り、資金に充てていた。
- ⑤鉢巻
- 前で結ぶのが正当。
- ⑥締込み
- 3~5メートルの白や紺色の木綿生地を使う。
- ⑦提灯
- 各流、町内、役付きなどの名称が入る。特に役付の提灯持ちは期間中、常に役付に貼りつく。