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舁き山紹介

菰田流の画像

菰田流「真田日本一の兵」

後年うたわれた真田幸村は、関ケ原の戦いで上田城に籠城して徳川秀忠軍を足留させ戦いに遅参するという手柄をたてたが、東軍が勝利した後、九度山に蟄居させられる。 14年後に大阪冬の陣が起こると、豊臣家の要請で大阪城に入場し、徳川軍とまたもや対決する。慶長20年夏の陣では、全軍赤備えの具足で天王寺にて徳川家康本陣に攻め入り、家康に死をも覚悟させた。
しかし、奮戦にもかかわらず最終的には兵力に勝る徳川軍に追い詰められ、見事な最期を遂げた。勇猛さと義の一文字は永遠に語り継がれる。徳川本陣に死を覚悟して突っ込む幸村を表現している。

 

新流の舁き山画像

新 流「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」

新流復活40周年の記念すべき年に、三十幾戦負け知らずの黒田長政にあやかり、無敵の新流れを誓う意味で作られた台飾り。黒田長政の人物像は、礼節を重んじ武勇に優れた武将でありながら、敵軍に優しさを持つなど広い心の持ち主であったとされる。
藩政においても家老・下級武士などの意見を取り入れ、教育などにおいても立ち振る舞いやマナーを重んじる、その姿に新流れを重ね憧れ、黒田長政をモチーフとした。

 

東流舁き山画像

東 流「母里 太兵衛」

1556年播磨国(兵庫県)生まれ、幼名を万助、俗名を友信、長じて太兵衛、後に但馬守と称す。黒田孝高(官兵衛)と長政の父子2代に仕え、槍術に優れた剛力の勇将として知られ、家臣精鋭24人の黒田24騎であり、その中でも特に重用された黒田八虎の1人である。酒豪でも知られ「飲み干せたならば褒美をとらす」と勧めた福島正則から大盃の酒を飲みほし、名槍「日本号(全長321.5cm、刃長79.2cm、重さ2.8kg)」を呑み獲った黒田武士の男意気を示す逸話を謡ったのが民謡「黒田武士」である。

酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士

 

西流の舁き山画像

西 流 「徳川家康公」

江戸幕府の初代征夷大将軍「海道一の弓取り」の異名を持つ。
全国を支配する体制を確立し、応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代に終止符を打った。家康の開いた江戸幕府は明治維新まで246年続く。

 

二瀬流の舁き山画像

二瀬流 「黒獅子」

かつて飯塚には日鉄鉱業二瀬工業所野球部という強豪チームが存在した。その強さは老若男女問わず魅了し、昭和27年と昭和33年の2度、全国都市対抗野球大会で準優勝を収めた。優勝チームには黒獅子旗、準優勝チームには白獅子旗がそれぞれ贈られる。
黒獅子には強さ・勇壮さを持ち合わせた百獣の王という意味があり、黒獅子旗を目指し、練習を続けた日鉄二瀬野球部の様に頂上を目指すという意味を込めている。

 

 

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