飯塚山笠飯塚山笠振興会公式Webサイト

お問い合わせ

サイトマップ

舁き山紹介

新 流「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」

新流復活40周年の記念すべき年に、三十幾戦負け知らずの黒田長政にあやかり、無敵の新流れを誓う意味で作られた台飾り。黒田長政の人物像は、礼節を重んじ武勇に優れた武将でありながら、敵軍に優しさを持つなど広い心の持ち主であったとされる。
藩政においても家老・下級武士などの意見を取り入れ、教育などにおいても立ち振る舞いやマナーを重んじる、その姿に新流れを重ね憧れ、黒田長政をモチーフとした。

 

新流の舁き山画像

新流ポスター

 

菰田流「牛頭天王(読み)ごずてんのう」

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の化身とされ、薬師如来(やくしにょらい)を本地仏とする。武塔天神(むとうてんじん)、あるいは京都八坂(やさか)神社の祭神として祇園天神ともいう。
平安時代から行疫神として崇信され、祇園祭はこの神を祀(まつ)って疫病を鎮める年中行事である。
牛頭天王は、インドでは祇園精舎(しょうじゃ)の守護神であったが、わが国では、最初は播磨(はりま)国(兵庫県)明石(あかし)浦に垂迹(すいじゃく)、ついで広峰に移り、その後、京都東山瓜生(うりゅう)山北白川東光寺へ、さらに清和(せいわ)天皇869年東山の感神院に移ったとされ、それが現在の八坂神社である。
『蔵王陀羅尼経(ざおうだらにきょう)』には、この神が「癘鬼(れいき)を縛撃(ばくげき)して疫難を禳除(じょうじょ)す」とみえる。 また『備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文には、武塔天神が蘇民将来(そみんしょうらい)から受けた一宿一飯の恩に報いるため除難の法を教えたとあり、これにちなみ、社寺では正月に疫病除けの護符として蘇民将来札が出される。牛王(ごおう)宝印も牛頭天王の護符で、祇園社から発行されていた。

 

菰田流の画像

菰田流ポスター

 

二瀬流 「誉田天皇」

第十五代天皇、「日本書紀」での名は誉田天皇。
国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神として信奉された。
伊岐須の鎮守の神であり、私達を見守ってくださっています。

 

二瀬流の舁き山画像

二瀬流ポスター

 

東 流「豊臣朝臣羽柴秀吉」

秀吉は尾張国(愛知県名古屋市)で、足軽の木下弥右衛門・仲の子として出生。
一五五四年(天文二三年)木下藤吉郎秀吉と名乗り尾張の戦国大名織田信長に小者として仕え、若くして織田家の有力武将となる。信長が支配領域を拡張する中で更に功績を上げ、長浜・但馬国・播磨国を領する織田家宿老の一人となった。毛利氏を討つため中国攻めの最中、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、急ぎ和睦して京へと戻り山崎の戦いで光秀を破り仇討ちを果たす。数々の功績をあげた秀吉は武士として初めて関白となり豊臣の姓を賜った。その後各地の戦国大名に臣従を要求し、北条氏を降した小田原征伐により天下統一を果たし戦国の世を終わらせた。
「人を切ぬき中候事きらい中候」
非殲滅主義を貫き、寛容ともいえる態度で多くの大名を助命し自らの配下としたことが天下統一への近道となった。

 

東流舁き山画像

東流ポスター

 

西 流 「広目天」

仏教における天部の仏神。持国天、増長天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」さらに千里眼と拡大解釈され、広目と訳された。須弥山(しゅみせん)中腹の西部に住み,西方の世界を守護し、竜を従え悪人を罰して善に帰らせた。

 

西流の舁き山画像

西流ポスター

 

 

フォトプロジェクト

2025山笠ポスター

わっしょい祭り2025

LINEスタンプ

舁き手募集 過去のタイムはこちら

飯塚山笠パンフレットダウンロード